不寛容な社会を感じつつも、自分も反省しなくてはいけない。

不寛容な社会

と言われつつある今日。

書籍でも、不寛容な〜と付く書籍等も見受けられるようになりました。

 

 

 

そもそも、「寛容」とはどういう意味なんだろう。

寛容を辞書で引いてみると・・・

寛容心が広く,他人をきびしくとがめだてしないこと。 
よく人を受け入れること(さま)。の精神な態度」

 

寛容がこういう意味ですので、不寛容はその逆になります。なので、不寛容とは、一言で言えば、「自分中心で、他人を理解しない、そんなことに関心がないよ〜」そんなギスギスした空気感なのかな〜を思います。

 

日本人は本当に不寛容になってしまったのでしょうか?一人でいるときは他者から認められたい自分。一方で他者と自分を比較して、他者を知らず知らずのうちに批判してしまっている自分はいないでしょうか。

 

他人を良い意味で気にかけない

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今朝、こんなことがありました。私が悪いのですが、リュックを背負って通勤をしています。そこで、今朝に限ってはリュックの口が全開のまま自宅から駅まで15分歩き、駅に着いて電車に乗る時にリュックが全開だったことに気づきました。

幸い、リュックの中身は何も盗まれていなかったのですが、駅まですれ違う人とか、後ろから追い越す人がちょっとは声かけてくれたら有難かったな〜と思ってしまったんですよね。

 

自分も反省しなくてはいけない

でもここで、ふと思ったのは、もしかしたらしかめっ面をして、声をかけづらい自分だったかもしれない。早くあるきすぎて声をかけづらい自分だったかもしれない。

そもそも、リュックをあけたまま歩くあんたが悪いんだろう!と言われればそれまでなのです。

まず他人にこうして欲しかったな〜と思う前に、自分が本当にどうするべきだったのか、周りの人にどんだけ気を使わせてしまっているのかを検証することも大事だなと思います。

 

傷つきたくない心

一方でこういう事も考えました。親切になんでも助けてあげようというタイプの人が過去に親切をして傷ついたから、他人の余計なコトには口を挟むのはやめようというような不寛容な傾向性に入ってしまっているパターン。

今、中国では転んでいるご老人を助けようとした通行人が訴えられるケースが相次いているみたいで、まさにこの現象の影響で、転んでいる通行人を見ても、声をかけない人が多く、不寛容な空気感があるみたいです。

過去のネガティブな事象が不寛容な精神性を作り上げてしまっている。それは自らが「傷つきたくない」という人間の本性部分にあるのではないでしょうか。認められたいというところから、人を見てあげよう、認めてあげよう。声を掛けてあげようと一歩踏み出す勇気が大事と考えます。

 

自分なりの寛容アクション

批判するだけで終わってはいけないので、自分がしていることは、例えば、終着駅で寝過ごしそうなお客さんが居た時に「終点ですよ」と声をかけることはよくします。そのまま寝てしまったら、大事な会議に、大事な飛行機に乗り遅れてしまう人かもしれません。

また、駅で道に迷っている人(外人も含めて)いたら積極的に声をかけるようにしています。前、吉祥寺で声をかけた方からは「コーヒーごちそうするよ」なんて言って頂くこともありました。

 

 

 

 

 

 

 

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作成者: Rickey

サービス業をしています。 日本語、英語、たまにタイ語でつぶやきます。 大学からコツコツと独学で英語を学び続け、 現在は国際関係のお仕事もさせて頂いています。 1日1〜2回ブログを更新。 好きなことはタイ、インテリアデザイン、iMac、MacbookPro、AppleWatch、鉄道(主に京王線)、ラジオ(主にJ-WAVE)、ライフハックス、IT関係、サーフィン、ボディーボード、ビジネス書読書、アロマ、お掃除、Wordpress、ブログ等々。 とにかく突き進む成長過程中のブログです。 家では一児の父(まもなく二児の父) よろしくお願いします。

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